かまねこのもくろみしょ。

元証券マンの備忘録。

飲み会に必ずギター持ってくる上司がいる

飲み会に必ずギター持ってくる上司がいる。

"証券会社で働いている人"と聞いて、あなたはどんな人を想像する?

モーレツな人、熱血な人、眼鏡クイッな人、まじめな人……
各人いろいろな"証券マン像"があるのではないだろうか。

実際に働いてみた感想としては、いろんなタイプのごった煮な環境だったと思う。大方の人のご想像通り体育会系のノリでいわゆる「陽キャ」な人が多かったが、他にもマイペースな人、オタクな人、まじめな人、適当な人、もたくさんおり、実に様々だった。

そしてもちろん、ヤバい人もいっぱいいた。
特に上司はちょっとおかしな人が多かった。権力を持つと誰しもそうなるのか?上からの圧力によるストレスでおかしくなるのか?この世代を採用したときの人事部は人を見る目が皆無だったのか?……理由はよくわからない。

毎日モノを投げ椅子を蹴飛ばし怒鳴りに怒鳴るバイオレンスパワハラ上司。
成績の悪い部下をわざとらしく無視し笑顔で嫌味を言うサイレントパワハラ上司。
朝までカラオケに付き合わせ喉がかれるまでB'zを熱唱するウルトラソウルパワハラ上司など、よりどりみどりのパワハラ見本市だったと言えよう。

しかし、彼らを差し置いて、飛びぬけて頭がおかしい上司がいた。
「飲み会に必ずギター持ってくる上司」
である。

ここでは仮に「ギター課長」と呼ぶことにする。
ギター課長が出席する飲み会で、彼がギターを弾かなかったことは一度もない。絶対に。一度たりともだ。

誇張ではない。どんな飲み会にも必ずギターを持ってきて、弾き語りをする。昔の曲も今の曲もなんでもござれ。誰も頼んでいないのに、おもむろにギターを取り出して、勝手にジャララーン……と弾き語り始める。タイミングはだいたいいつも、乾杯が終わり2品目が届く手前くらい。かなり序盤から始まる。

飲み会と言ってももちろん、毎回貸し切りの店でやるというわけじゃない。安い居酒屋チェーン店に行くことのほうが圧倒的に多い。当然ながら周りの客からは「なんだあいつ」「うるせえな」という視線が刺さりまくるし、実際店員から「他のお客様のご迷惑になりますのでお控えください」と注意されることも多い。注意されたら3分くらいはおとなしくするがすぐに小さめの音でジャラン……とかき鳴らし始め、5分も経てばいそいそと弾き始め、すっかり元通りだ。

周りの社員はやんわりとしか止めない。なぜならもう、どんなに止めても彼は構わず弾き続けるということを知っているためである。
少なくとも僕が配属になったときはすでにもう諦念ムードが漂っていた。飲み会のたびに「ギター課長、周りの方に迷惑ですからやめたほうがいいですよ」と必死で止めたものの、すべて徒労に終わった苦い経験があるからだ。

特に、諦める主原因となった事件がなかなかとち狂っている。
名付けて「高級料亭ギター事件」である。
これは僕が支店に入ってくる前に起こったことなので、人づてに聞いた話である。

その日はいつもの飲み会と異なって、支店の役職者たちが、社長や取引先の偉い人たちと高給料亭に行くという特別な飲み会だった。参加するのは課長、副支店長、支店長。ギター課長も当然参加することになる。
支店長は念のため「ギター課長、今回は演奏はだめだよ」と言っておいたし、本人も「ははは……そうですね」と言っていた。周囲の人間も、「さすがにこの飲み会では持ってこないだろう」と高をくくっていた。
ところが当日。出社した彼の背には大きなギターケースがあった。

当然、支店の社員総出で全力で止めた。理詰めで説得する者、怒鳴って諫める者、愛想を振りまいて引き留める者。みな己の持ちうる営業能力を最大限に発揮して止めた。でもだめだった。「そんなに場違いじゃないですよ」「ちょっとしか弾きませんから」「大丈夫ですって」彼は物腰穏やかなくせにギター絡みではやたらと意志が固く、どんな説得もにこにこしながらのらりくらりと受け流してしまうのだった。
さすがに支店長もかんかんに怒った。その凄まじさたるや、発注ミスを起こしたときのそれよりさらに激しいものだったらしいが、彼はあいまいな笑顔で「考えておきますね」とだけ言ったらしい。心臓に毛が生えまくっている。頭の毛は薄くなっているというのに。
説得もむなしく、彼は高給料亭にギターを持ち込むことに成功した。何なら、ギターをケースから取り出してかまえるところまで成功したらしい。社長が止めなければ、今にもつまびくところだったそうだ。

「……なんだ、それは?」
「ギターです」
「非常識だな、君は。ここがそういう場所に見えるか?しまいなさい」

そういわれた彼はしぶしぶギターをしまったのだった。

その翌週の普通の支店飲み会は、さすがの彼も懲りているだろうと皆が思っていたが、彼はそんなやわな男じゃなかった。
磯●水産の爆音懐メロに負けじと声を張り上げ、ギターをかき鳴らしていた。支店の面々は悟った。社長レベルの者でなければ、彼を止めるのは不可能なのだ、と。

人づてに聞いた話だから、かなり誇張が入っているかもしれない。
しかし「高級料亭でギターを弾こうとした」というのは動かざる事実である。ほかならぬ社長がそれを他の支店長に言いふらし、いつの間にか他店にも噂が広まっていた。ギター課長は会社全体の飲み会の時にももちろんギターを持参して注目を浴びていたし、ちょっとした有名人になっていた。
本人はどこ吹く風といった様子だったが。

他のクレイジーエピソードと言えば
「飛び入りセッション事件」
がある。
半地下のおしゃれなジャズバー風のお店で忘年会を行ったとき、ピアノとサックスとドラムのバンド?が来て生演奏を聴けるというイベントが突発的に始まった。
案の定彼も飛び入り参加した。演奏が始まるなりギターを抱え、ステージに上がりこんだ。勝手に伴奏をつけ、勝手に主旋律をハモり、勝手にドラムソロを己のソロに変えてしまったのである。

最初こそ「飛び入り参加か!熱いぜ!」みたいなノリだったバンドの人たちも、だんだんとイライラしていくのが手に取るようにわかった。ギター課長は下手というわけではないが、他人の演奏に即興で合わせられるほどの力量はないらしい。バンドの人たちはギター課長に合わせてあげようと苦心していたが、初対面の素人に合わせるというのは大変そうだった。結果、リズムはがたがた、メロディもぐだぐだの聴くも無残な状態になっていく。もう見ていられなくて、僕が無理やり引きずりおろしに行った。彼はステージにどっかり座り込んで抵抗したが、バンドの方々や店員さんもさりげなーく協力してくれて、自分たちのテーブルまで文字通り引きずっていくことができた。周りの人たちはあからさまにほっとしていた。僕の支店の人たちも、他のお客も、店員さんも、バンドの人たちも。あの時の一体感はすさまじかった。
座席に戻った本人だけは、未練がましく静かに弦をかき鳴らしていた。


なんとも不思議なことに、平常時のギター課長は非常に穏やかな常識人だった。営業成績も可もなく不可もなくといったところを常にキープしていた。「ギターを弾きたがる人」なんていうと、俗にいうヤンキー、陽キャっぽい人を想像する人も多いだろうが、彼はどちらかというと「陰キャ」のほうだったと思う。(このような安直な表現で大変申し訳ない。)
彼は支店の他の人たちがくだらない猥談で盛り上がったりしていても苦笑いするだけで乗ってこようとはしない。黙々と仕事をこなす比較的物静かなタイプだ。頭もいい。学歴はこの支店はおろか、この会社全体の中でもトップクラスだったに違いない。超難関大学の出身である。

彼が狂うのは飲み会。ただその時だけである。
また前述のとおり、彼のギターの腕前はうまくもなければ下手でもない。ここがまた微妙なところである。音程は外していないし、リズムもちゃんと合っているのだが、ただそれだけなのだ。うまく表現できないけど、プロの人が持っている「味」「情緒」みたいなものが全くと言っていいほどない。有名な曲の楽譜を楽譜通り演奏している、ただそれだけに聞こえる。だから、「あーその歌知ってます」「その曲昔流行りましたよね」くらいの感想しかでてこないし、心に響かない。めちゃくちゃ上手い、あるいは下手でであれば対応も違ってくるのだろうが、この「中途半端なうまさ」というのがどうにも扱いにくく、非常に厄介だった。

そんな彼が大いにはりきるのが、新人が入ってきたときである。
他の社員はあらかじめ教えておく。「あの課長、飲み会に楽器とか持ってきちゃうんだよね。気にしなくていいからね。塩対応でいいから」と。
だが新人は気を使って「課長、うまいですね!」などとお世辞を言ってしまう。褒められて調子に乗ったギター課長は「何かリクエストある?ジャ●ーズの曲とかは?」「この曲知ってる?」とウッキウキで矢継ぎ早に演奏を始めてしまう。ここでさらにヨイショでもしようものなら、そのまま強制的に二次会に参加させられ、終電まで彼の独壇場に付き合わされることになる。

彼の飲み会ギターに対する情熱がどこから来るのか、不思議でならない。
突発的に起こる飲み会――「この後一杯どうっすか?」みたいなやつには、彼は絶対乗ってこない。事前に日程が分かっている飲み会じゃないとギターを持ってこれないからだろうか?彼にとって、ギターなき飲み会など価値がないのかもしれない。


このギター課長のことは笑い話としてたびたび他人に語ることがあるが、たいてい「そんなやべーやついるわけないでしょww」と信じてもらえない。そんな中ただ一人だけ、「俺の職場にも似たような奴いるよ」と信じてくれた人がいた。大学時代の友人で、現在は大手銀行に勤務している。彼のところはギターではなくウクレレらしいが、飲み会に持ってきて問答無用で演奏するという点は見事に一致していた。
お堅い人が多いというイメージがつきがちの金融系だが、どこにも変わった人はいるんだな、と思う。

コロナが猖獗をきわめるこのご時世、ギター課長はどうしているのだろうとふと思う。弾き語りができずフラストレーションが溜まっていないだろうか。それともオンライン飲み会でギターを弾いたりしているのだろうか。仲のよかった同期が軒並み転職してしまったため、内情を探ることができないのが残念だ。